飲み会を断る代わりに、その会費を寄付するプロジェクト!
タイトルの通りですが、
「飲み会を断る代わりに、その会費を寄付するプロジェクト」
を開始します!
ルールは3つだけ
- 気が乗らない飲み会があったら、遠慮なく断り、その会費の分だけ、慈善団体に寄付する。
- 会費が不明の場合は、3,000円を寄付する。
- プロジェクトに動きがあったら、本ブログやツイッター(#飲み会断って寄付)で報告する。
なぜこのようなことを思いついたのかを、以下に記します。
飲み会が苦手
私は飲み会が苦手だ。
正確にいうと、上司のありがたい話を聞いたり、気を使ったりしなければならない飲み会が苦手だ。
お金を使って、時間も使って、一体何が得られているんだろうか。あの辛い労働ですら、時間を使えばお金がもらえるのに。これなら、家で静かに本を読んでいたほうがマシだ。
だから、気の乗らない飲み会はできるだけ断りたい。
「じゃあ断ればいいじゃないか」と言われるかもしれないが、そう簡単にはいかない。「親睦」や「付き合い」といった名目で、ほとんど強制的に参加させられてしまう。確固たる意思がないと、断るのはなかなか難しい。
断る言い訳を考える
同じように考える人の中で、その対策としてドタキャンをするという人もいる。最初は参加を表明するが、直前になって断るということだ。確かに「行きたいんだけど、理由があって行けなかった」という雰囲気が出て、これなら断りやすい。
しかし、幹事は、再度電話をかけなければいけないから負担になる。そもそも幹事は、上司への挨拶のお願いや会費の管理など気を使うことがたくさんある。こんなことのためだけに、幹事に負担を強いたくない。
では、どうやって断ろうか。
「飲み会を断る人は、自己中心的だ」というイメージの払拭
そもそも、なぜ職場の飲み会は断りづらいのだろうか。
それは逆に、飲み会を断るときの理由を考えればみえてくる。
飲み会を断るときは、たいていこんな理由だろう。
- 体調が悪くて...
- 予定が入っていて...
- 親族の容態が悪くて...
共通しているのは、「他責的である」ということだ。つまり「私のせいではありません。しょうがないことなんです。」と責任転嫁をしている。
このような他責的な言い訳が一般的に行われているということは、自分の意思で飲み会を断ることが避けられているということだ。逆に、言い訳もせずに飲み会を断る人に対しては、「会社への貢献意識が足りない」とか「自己中心的」というイメージが付いてしまう。
なにより、飲み会を断って浮いたお金は、自分のために使うことになってしまう。これでは「ケチだな」と思われても仕方ない。
だから飲み会を断るには、「飲み会を断る人は自己中心的だ」というイメージを払拭する形で、断らなければならない。
より大きな貢献意識を提示して断る
そこでひらめいたのが、
「より大きな貢献意識を提示して断る」
ということだ。
会社よりも大きな範囲で物事を考え、それに対して貢献しているということを示すことができれば、「飲み会を断る人は、自己中心的でケチ」というイメージも払拭できる。
そして具体的な方法として、
「飲み会を断る代わりに、その会費を寄付するプロジェクト」
を思いついたのだ。
このプロジェクトを説明した上で断ると、「は?なに言ってるの?」と言われてしまうかもしれない。おそらく職場では浮くことになる。だが、少なくとも「そんなこといいから飲み会に来い」と言われることもないだろう。
また、寄付という行為が身近でない日本で、例え少額でも寄付をしているという事実は、ちょっといいことをしているようで、誇らしく思うのではないだろうか。
本当のきっかけ
上述したのは、今回のプロジェクトの論理的な説明だ。ただ、実際のところはこのように筋道を立てて考えたわけではない。
「1人4,000円で×10人なら、一回の飲み会で40,000円か... 寄付したほうがよっぽどマシだな...」
と単に思っただけなのだ。
ただ「思いついたからやりました」では、自分の中で納得ができないから、このような説明をあとから付け足したという具合だ。
勤めている会社にもよるとは思うが、私の場合は、それほど飲み会が頻発する職場ではない。だから金銭的に負担が大きいというわけでもないし、そもそも使っていたはずのお金なのだから、そんなことを考える必要もない。
プロジェクトに共感して実行してくれれば、この記事を書いた甲斐があったというものだ。
寄付した際は、#飲み会断って寄付を使い、Twitterでつぶやいて、このプロジェクトを広めてほしい。