かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

代官山人文カフェに行ってきた

代官山人文カフェに行ってきた

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 昨日は、こちらのイベントに参加しました。
 雰囲気は、こんな感じ。

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 哲学カフェには初めて参加しましたが、非常に楽しい議論が出来ました。
 以下の要約などは、あくまで「かつげん的要約」のため、本来の意図と異なっていてもご了承ください。

今回の内容

 そもそも今回は、「棋士と哲学者」という本の出版記念イベントで、「"戦い"の条件」というテーマで議論が行われた。
 そのため、まず著者でもある戸谷さんから、今回の本を執筆した動機などの説明があった。

  • 「現代における戦い」は、お互いが否定し合うことが多い。時には、潰し合いのような形になるときもある。
  • 「現代における戦い」は、感情的で未熟になっていると感じている。
  • 「将棋における戦い」は、戦いながらもお互いにリスペクトがあり、否定合戦にならない。
  • お互いにリスペクトのある戦い方をするにはどうすればよいか。その鍵は、将棋にあるのではないか。
  • 糸谷棋士とは同い年であり、「ゆとり世代」でもある。日々「将棋における戦い」を行っている糸谷棋士と対談することで、戦いの問題がよりクリアになるのではないか。

 おおよそこのように解釈した。
 話の終わりの方に、右翼と左翼の対立の話をしたために、最初の方は割と政治的な話になったのだが、その後は面白い議論が出来た。

 私が気になった意見や議論は、以下のとおり。

  • 弱者の戦いには方向性がなく、不満の発露という意味での「告発」ではないか。
  • そもそも、戦いの場に着くまでが一つの戦いではないか。
  • 戦いの場に着くor着かないという選択に対する個人の意思は、どのように尊重されるべきか。
  • 戦いが起きることによって、その周りにコミュニティが発生するのではないか(その逆ではなく)。
  • 戦いの終わらせ方をどのように考えるか。
  • 戦いには、「告発→参加→対話」というような段階があるのではないか。
  • 「世間」という考え方を、戦いに如何に活かすか。
  • 「戦い」と「勝負」は異なる。「戦い」はその状況、「勝負」は勝敗を決めるための戦い。
  • 勝敗の決められない戦いこそ、本質的な戦いではないか。
  • 将棋の良いところは、お互いに1手ずつ指すこと。
  • 相手を叩きのめすことこそ、他者の承認ではないか。

将棋コンピューターに形作りは出来るか

 最初は、この記事の中で完結した結論を出そうと思っていたのだが、まだ昨日の議論を頭の中で整理できていないために、それは到底無理だということに気づいた。
 そのためここでは、今回の議論で気になったことを挙げていきたい。

 まず1つ目は、「将棋コンピューターに形作りは出来るか」だ。

 プロ棋士とコンピューターとの団体戦であった電王戦で顕著に現れていたのは、コンピューター側が劣勢になったときに、明らかな悪手(そしてほとんどの場合、それは本当に悪手なのだが)を指し始めるということだ。
 これを「水平線効果」と言う。

 人間から見れば、これは「悪あがき」であって、戦いにおいてリスペクトのある状態ではない。
 この現象は、あくまでコンピューターが盤面の勝負にこだわっていて、「形作り」という広義の将棋ルールを、人間と共有していないということの現れである。

 そしてそもそも、「形作り」をコンピューターが出来たとして、それは広義の将棋ルールを人間と共有したということになるのだろうか。

 例えば、電王戦では「電王手くん」という機械が登場し、ロボットアームで駒を認識し、実際に「指して」いる。それだけではない。電王手くんは、対局開始前後に「お辞儀」をする。
 「礼に始まり礼に終わる」のも広義の将棋ルールの1つだが、こういった行為は、人間とそのルールを共有したことの現れなのだろうか。

 では、そもそも「ルールを共有する」とは、どのようなことなのだろうか。

「戦い」の種類

 2つ目は「戦い」の種類について。

 今回の議論では、様々な「戦い」が議論の俎上にあがった。

 個人vs個人、個人vs団体、団体vs団体。「告発」としての戦い。ルールのある戦い、ルールのない戦い。勝敗のない戦い、勝敗を決める戦い.....

 これらの「戦い」について、一度整理する必要があったように思う。議論においても「その『戦い』って何の戦い?」と混乱することがしばしばあった。

 ここで類型的に「戦い」について整理することは避けるが、どのような戦いがあり、それぞれがどのような関係性を持つのかということについて図式化できれば、今回のテーマであった「戦いの条件」も分かりやすくなるのではないだろうか。

 ルールなき戦い

 3つ目は、「ルールなき戦い」について。

 最後の方に学生の方が発言していた。つまり、「私たちの世界ではルールのある戦いのほうが稀で、ルールなき戦いのほうが本質的なのではないか」ということだ。

 なるほど、確かにそのとおりだ。
 それでは、そのルールなき世界で、私たちはどのように生きていけばよいのだろうか。

 昨日の議論では、「様々な人と実際に出会うこと」という結論に一応落ち着いたように思える。この結論は、私も常々思っていることでもある。
 しかし一方で、それは結局のところ「様々な人と出会う勇気を持とう!」という精神論になってしまうのではないか。

大ざっぱな感想

 いろいろ書いたが、私の中でも全くまとまっていないので、意味がわからないのはご容赦いただきたい。

 議論していて面白かったのは、昨日のイベントもある意味では「戦い」であって(実際にそのようになりかけたときもあった)、そういう意味では入れ子構造になっているということだ。

 戦いによって自分の価値観が揺さぶられ、新たなつながりが出来る。

 こういった「戦いのメリット」も、今回のイベントに参加して考えたことだ。
 また近々違うテーマでイベントをやるとのことだったので、都合が合えば、参加したいと思っている。

 参加者の皆さん、戸谷さんやスタッフの方々、ありがとうございました。