2019年01月23日に六本木アカデミーヒルズで行われた、こちらのイベントに参加してきました。
ということで、内容と感想などを書きたいと思います。
会場の雰囲気はこんな感じ。
今回の内容
今回の登壇者は、津田大介、荒神明香、南川憲二、遠山正道の4名。それぞれのプロフィールは、今回のイベントのホームページを見てほしい。
イベントの流れとしては、イベントの趣旨を述べたあと、登壇者順に発表をし、その後4人で対談という形だった。
イベントの趣旨
なぜ「アート×ビジネス」なのか。
それは、昨今、芸術祭が多く行われており、一人だけでは完結できない作品が増えたことによる。
つまり、現在のアート界においては「アートのプロジェクト化」が進んでいる。
しかし、特に金銭面において、アートは自立していない。プロジェクト化に対して、上手く対応できていないのが実情である。
一方、ビジネスから見たときに、アートの世界はまだ未開拓で、発展性がある。
こういったことから、「アートとビジネスを掛け合わせることによって、相乗効果が生まれるのではないか」という期待を込めて、今年の六本木アートカレッジは開催されている。
津田さんの発表
津田さんは、あいちトリエンナーレ2019の芸術監督である。
今回の発表は、主にあいちトリエンナーレの説明だった。
詳しくは開催概要を読んでもらったほうがよいが、私が気になったところだけ記録しておく。
- あいちトリエンナーレが複合的な芸術祭になったのは、愛知芸術文化センターの構造が一因にある。
このセンターの構造が、様々な芸術を取り込んでいる建物となっており、それを活かすためにあいちトリエンナーレのテーマが決まっている部分がある。- 芸術祭の特徴は、様々な芸術を並立させることができる。一つのテーマに絞らなくても良い。
- Passionという言葉には、「情熱」という意味だけでなく、「受難」という意味がある。(この一連の記事の解説が詳しい。)
- アートの世界を、創る人-見る人-パトロンに分けたとき、日本は見る人の割合が高すぎる。
- 創る人の男女比は、おおよそ3:1で男が多い。美術館長の92%が、男性
「目」の発表
荒神さんと南川さんは、「目」という現代芸術チームとして共に活動している。
今回は、「目」が2014年に行った『おじさんの顔が空に浮かぶ日』というプロジェクトについての発表だった。
このプロジェクトのきっかけは、荒神さんが、「おじさんの顔が空に浮かぶ夢」を見たことだった。
私たちは、景色として人間を見るとき、必ずといっていいほど群衆を思い浮かべる。しかし実際には、その群衆は1対1の個人である。
このプロジェクトは、「群衆ではなく、一人の個人を景色として見る」という発想のもとで開始されたという。
詳しい感想は後で述べるが、写真で見る「おじさんの顔」はとても面白かったし、会場も沸いた。荒神さんの発言でもあったが、実物を見たらどれだけの迫力だろうか。
もう一度実現することがあったら(今度ブラッシュアップしたものをやるとかやらないとか)、ぜひ見に行きたい。
以下、気になったところを再び箇条書きにする。
- 「顔収集センター」を設置し、延べ218人の顔の写真を採集した。
- 小学生に、「おじさんの顔が空に浮かぶ日」を妄想してもらい、その日の出来事を絵日記にしてもらうことによって、多様な発想を集めた。
- 「もしかしてお前、浮いてない?」
遠山さんの発表
遠山さんの発表は、本人が発表の順番を忘れてしまっていて、少し中途半端な形となってしまった。
遠山さんは、プロジェクトというものに対する人間の3つの立場を、以下のように分析した。
- 自分でプロジェクトを創る人
- 他人からプロジェクトの誘いが来る人
- プロジェクトを創りもしないし、誘いも来ない人
できるだけ1の立場にいようと努力しなければ、2→3へと転落してしまう。
そういう話であった。
対談の内容
4人の発表の後、対談形式となった。話の流れは逐一追っていないので、またもや箇条書きにする。
質疑応答
対談の後質疑応答があり、私も含めて3人から質問が出た。質問と回答は以下のとおり。
- 「顔プロジェクト」は、「よそ者」が「理解しづらいこと」をやっていると思われるのではないか。その際、協力してくれる人はどのように募ったのか?(私)
→声をかけたり、ビラを配ったりして、地道に集めた。(南川さん)- 今、顔のバルーンはどこにあるのか?(私)
→アトリエでしぼんでいる。(南川さん)- アートのことは詳しくないのだが、近代美術と現代美術の関係性はどうなっているのか?(男性)
→近代美術と現代美術は対立するものではなく、常にモチーフにされ続けている。(荒神さん)
→「アートのことは詳しくないのだが」とみんな言うけど、そこにビジネスチャンスがあるのではないか。(遠山さん)- (遠山さんの、1・2・3の区別について)アートクラブプロジェクトをやろうとしても、現実問題難しいことがあるが、どうすればよいのか?(女性)
→すでに活動しているようなので、方向性は見えているのではないか。
必ずしも会社の中のみで活動する必要はないのではないか。(津田さん)
アートにおける「説明」について
とてもおもしろいイベントだった。特に「おじさんの顔が空に浮かぶ日」を知ることが出来たのは、とても良かった。
その中で話したくなった事柄をいくつか述べたいと思う。
まず、アートにおける「説明」について話してみたい。
例えば、地域振興策としてアートプロジェクトを行う際、役所では様々な部署に「なぜそのプロジェクトをする必要があるのか」を説明しなければならないだろう。
また、アーティスト自身も、なぜその作品を作ったのかを、ある程度説明できなければならない。
なぜアートでなければならないのか?
その作家でないとダメなのか?
費用は?効果は?
なぜそのテーマ?
などなど・・・
しかし一方で、対談でもあったように、アートにはスタートとゴールがない。
つまり、経済性や合理性という概念がない。ならば、説明も出来るはずがない。
アート×ビジネスという掛け算で問題なのは、おそらくこの経済性や合理性という部分ではないだろうか。
対談の中で荒神さんは、「自分の感性を肯定する」と言った。
ピラミッドの話でもあるように、人間は誰しも、「バカみたいな妄想」を思いつく。
しかし、常識と照らし合わせて、その妄想を自分で消してしまう。
確かに仕事においては、他人に説明するということは大事だ。妄想を消すこともしょうがないだろう。
しかし、そうでない部分において、妄想を消してしまう理由はない。
「顔プロジェクト」にはおそらく意味がない。ただ、面白そうだからやりたかっただけだ。
しかし、その欲望に対して、後からでも理由をつけて事業化する。
そして、自分たちの力で実現させる。
そう考えると、ビジネス側に求められるのは、経済的な支援の前の「そもそも、なぜアートなのか?」という経済的・合理的な観点からの理由付けなのだと思う。
どうでもいい話だが、今回のイベントに参加して、一番に思ったのは、「あー、俺もアーティストになろう。。。」ということだ。
自分の感性を肯定すること
名乗れるほどのものにはなれないと思うが、少しづつ作品を作っていきたいと思った。
芸術家における在庫問題
もう一つ感じたのは、芸術家における在庫問題だ。
冒頭のイベントの趣旨でもあったように、近年、作品は大型化している。
絵画や彫刻といった「モノ」ではなく、インスタレーションのような「空間」を表現する作品も増えている。
こういった作品は、売ること=引き渡すことが出来ない。
引き渡すことが出来ないと、その作品はいつまでも、アトリエの中に保管しておかなければならない。
しかし、現実的にはいつか終わりが来る。それはキャパシティの限界かもしれないし、芸術活動の終焉かもしれないが、いずれ作品を手放さなければならない。
この問題について、当のアーティストはどのように考えているのか。
実際、このようなサービス(これは絵画ではあるが)も誕生している。
アート×ビジネスという観点で言えば、両者に共通する「在庫」という問題について、ビジネス側が解法を提示できる可能性があるのではないか。
解法を提示できれば、それはすなわち商機に繋がるのではないだろうか。
いずれにしろ、「顔バルーンのありか」を質問したにもかかわらず、この大事な質問を思いつかなかったのが悔やまれる。
感想
ということで、六本木アートカレッジに参加した感想を書いてきた。
仕事帰りの時間ということで難しいとは思うが、もう30分延長してほしいぐらいには良いイベントだった。
3月にも大規模なイベントが行われるらしい。
そこでは交流会も予定されているようだから、参加したいと思っている。
津田さん、荒神さん、南川さん、遠山さん、スタッフの皆様、お疲れ様でした。