私は、2018年の6月にチェルノブイリ原子力発電所へ、同年12月に福島第一原子力発電所へ行った。
このシリーズでは、3回にわけてその模様などを書いていきたいと思う。
その1ではチェルノブイリを、その2では福島を、その3ではチェルノブイリに行った際に私が書いた文章を載せていく。
最初は、文章でつらつらと書いていくつもりだったが、上手くまとまらなかったので、写真を取り上げてコメントしていくスタイルで書くことにした。
また、必ずしも時系列順ではないが、そこはご了承いただきたい。
おそらく、2018年のチェルノブイリ原発内部の写真は、それほどネットには出ていないはずだ。
そういう意味で、とても貴重なものだと思うし、自分のストレージの中だけに収めておくのも勿体ない。
というわけで、早速チェルノブイリ編から始めたいと思う。
素人がチェルノブイリに行ってきた
ウクライナ国立チェルノブイリ博物館
ぶら下がっている看板は、道路標識を模したもの。
2枚目はちょっとした講義などを行う場所。ロシア正教的価値観を模した構造になっている。
ユーロマイダンが起こった場所。
1枚目はその広場、2枚目はデモ参加者が、右に見えるホテルから狙撃されていった坂。
その模様は、この動画などで公開されている(閲覧注意)。
ウィキペディアを見れば分かるが、これが起こったのは2014年。つまり、3.11よりも最近。
1枚目は、チェルノブイリに向かう道中。まさにOn your mark。
2枚目は旧立入禁止区域のゲート前にあるお土産屋。これはツアーの中でもかなりの衝撃だった。音楽も流れていて、「これからチェルノブイリに行くのだ」というピリピリした緊張感が無化されるような空間だった。
3枚目は、そこで買った缶バッチ。
これらを「不謹慎」と捉えるか「企業努力」と捉えるかはお任せする。
いろいろ端折って、チェルノブイリ原発外観。
前はむき出しだったが、2018年にはドームで覆っていた。
周囲の放射線量も低下していた。
原発近くにある、作業員用の食堂。いわゆる「ゾーン内」にも生活はあるのだ。
原発事故によって廃棄された町である「プリピャチ」の看板。
まさしくソ連という感じのモニュメント。
チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)にも出てくる病院
プリピャチにある劇場。
CODなどでも有名な観覧車。ここで出てくる。
思うに、この観覧車がこれだけ有名になったのは、「黄色」であることが大きい。
森や廃墟の中でこの人工的な黄色は、どうやっても目に入る。しかも巨大な建築物。
テーマにせざるを得ないだろう。
チェルノブイリ原発の玄関。一般の観光客は中に入れない。
私たちは「視察」という体を取っているらしく、中に入ることが出来る。
俗に言う「金の廊下」
この通路は、すべての建屋に繋がっている。
原発作業員で、事故の際、構内に取り残されてしまったワレリー・ボドムチュクのレリーフ。
この壁の向こうが、爆発した4号炉となる。
ツアー参加者の方が持ってきていたガイガーカウンターは、20マイクロシーベルトを振り切ってしまった。
ドゥーガ3。OTHレーダーと呼ばれる、ミサイル探知用のレーダー。迫力がすごかった。
今は殆ど取り壊されてしまった、レーニン像。
チェルノブイリだからこそ残っているというのが皮肉。
お土産で買ったTシャツ。(よく考えたらダサすぎて、ほとんど着ていない。)
国立戦争博物館。第二次大戦を扱ったもの。
中の展示物もそうだが、博物館前にあるモニュメント(2枚目)の躍動感がすごかった。
雑記
チェルノブイリも、もう半年以上も前のことになってしまった。
確かにこのツアーで人生は変わった実感はあるのだが、何が変わったのかは未だによく分からない。
唯一悔やまれるのは、カメラだ。
私は当時一眼レフを持っていなかったから、スマホのカメラで撮影していた。
今考えれば何たる愚行。
その反省を踏まえて、10月ぐらいにはミラーレスを購入し、福島では基本的にちゃんとしたカメラで撮影した。
チェルノブイリは、このツアーで訪れた。
参加者にもいろいろな人がいて、交流できたのはとてもよかった。
そして、「公務員」という世界がいかに狭いかを思い知った。
チェルノブイリに興味のある方は、是非一度行かれると良いと思います。
ウクライナという国の政情は、かなり不安定です。それこそ何年か前に革命が起きてしまうぐらいの。
「行きたいなー」と思っているうちに、行けなくなってしまう可能性がある場所です。
機会と時間とお金があれば、ぜひお早めに。