かつげんの拠り所

1992年生のしがない福祉系地方公務員のブログ

『21世紀の戦争と平和』&『欲望会議』刊行記念イベントに行ってきた@ゲンロンカフェ

『21世紀の戦争と平和』&『欲望会議』刊行記念イベントに行ってきた@ゲンロンカフェ

 タイトルのとおりなのですが、行ってきました。

 土曜日は、チェルノブイリに一緒に行ったメンバーと飲んだのだが、そのあとゲンロンカフェで行われるイベントがあり、「一緒に来たら???」と誘われて突入した結果、当日券があって、参加できることに。
 翌日は10時から、別の哲学のイベントがあったのですが、結局23:30ぐらいまで続き、疲労困憊。
 別の哲学イベントの感想については、また後ほど。

 とりあえず感想などを書きます。

三浦さんと東さんのすれ違い

 今回の話の中で、徴兵制の話があった。

 本を読んでいないから詳しくは分からないが、徴兵制の教育的機能について議論が及んだ。
 議題としては、

 「徴兵制には、確かに市民教育的な効果があるとは思うが、はたしてその効果は徴兵制でないと果たせないか?」

 という感じだろう。
 つまり、他にも教育的機能のあるものはたくさんあるのに、なぜ徴兵制が特権化されているのだろうか。というのが東さんの問い。

 それに対して三浦さん(や、千葉さんも最初は乗っかっていたが)は、

 「暴力というのはこの世の中で一番強力なものであって、暴力をする側又はされる側の立場を教えることに意義がある」

 といった回答だった。
 しかし、これに対して東さんは

 「それは分かるけど、その論理を突き詰めると人を殺すしかなくなる。人を殺さないように教育すべきなのに、本末転倒では?」

 という返し。
 そこで三浦さんや千葉さんは、暴力の教育装置としての徴兵制論について主張しなくなる。
 ここまでは分かるのだが、その後から、三浦さんと東さんは噛み合わなくなる。

 三浦さんは、そこから自分の生い立ち(父親が自衛隊の教官だったとか、ご主人が外務省に勤めていたことであるとか)の話や、国際政治的観点の話をし始める。
 で、その答えに東さんは納得行かない。堂々巡り。という感じだった。

 そこでの噛み合わなさは、以下のようなことに起因するのではないかと、さっきお風呂に入りながら思い浮かんだ。

 東さんは、徴兵制の教育的機能にだけ絞って、教育的機能を担うのは徴兵制だけじゃないという論を張る。それはそれで分かる。

 しかし、三浦さんはそもそも徴兵制の導入を、教育的機能だけのために導入したわけではない。教育的機能は、徴兵制導入の一要素なのであって、国際政治関係や、徴兵制導入の非戦的効果など、様々な要素が複合的に絡んだ結果の徴兵制導入の主張だ。

 だから、そもそも三浦さんは、「教育的機能の観点から見た徴兵制の特権性」という東さんの限定された論点に乗らないほうが良かったのではないか。
 例えば「徴兵制に存在する教育的機能は、義務教育など様々なもので代替できるとは思う。ただ、徴兵制の導入はそれだけが目的ではない」と言えば良かったのではないか。そうすれば、東さんの言っていることも辻褄が合うし、三浦さんの言っていることも辻褄が合うはずだ。

千葉さんと東さんのすれ違い

 千葉さんと東さんとの間では、また異なるすれ違いがあった。

 東さんは、ゲンロン0 観光客の哲学の最後の方で、「家族」というキーワードを使って、これからの共同体観を述べている。
 一方、千葉さんは、この共同体観に対して反対するといった具合だ。

 まず聞きながら思ったのは、千葉さんがなにかと反対をすること。「徴兵制嫌だ!家族も嫌だ!」と言っているように聞こえた。否定をすることによって自分の立場を浮き彫りにするような、そんな態度に見えてしまった。
 だから質問をして、「『嫌だ』は分かるけど、それ以外の方法はなにか考えているのか」といった質問もした。

 そこでの千葉さんの回答としては「共同体とは別に存在する、共同体に包摂されない者の観点から、私は考えたい」といった内容だったと思う。

 ただ、そもそもそんな人はいるのだろうか。東さんが言っていたように、「人はひとりで生きてはいない」のではないか。

 つまり、東さんの話は、共同体の形式というよりも、そもそも「独身者(共同体に包摂されない者)は存在しないのではないか?」という批判だったと思う。
 だからそれに対して、「独身者の立場になって考える」という千葉さん応答は、「いや、その独身者がそもそも存在しないんだってば!」というツッコミが入ってしまう気がする。
 三浦さんもそこに気づいていて、「でも、千葉さんは帰省して家族と会ってたし、仲もいいんでしょ?」なんてことを言っていた。つまり「千葉さんは、そもそも独身者ではないんじゃない?」と。

 

 あと、フリーライダーについて少し。すれ違っているわけでもないけど。

 独身者 =フリーライダー
 共同体員=コストを支払う者 

 という分け方になんとなく聞こえてしまったのだけれど、以下のニュースを見て、ちょっと違うかもなーと思った。

 この報道に対してTwitter「この取組は、書店に対する図書館のフリーライダー性を強調してしまうのではないか」という批判を見た。
 確かになーとは思うのだけれど、そもそも図書館は税金で賄われているわけだから、その自治体の市民にとっては、順当な対価のようにも思える。

 つまり、フリーライダーとは相対的なものであって、例えばこの場合、書店に対してはフリーライダーだ(かもしれない)が、自治体に対しては正当なコスト(税金)を払っている者である。

 そう考えると、

 独身者 =フリーライダー 
 共同体員=コストを支払うもの

 という単純な図式は異なっていて、独身者でもちゃんとコストを支払っている場合もあるし、共同体員でも払っていない場合もある。ケースバイケース。

雑感

 初めて、勢いのままに記事を書いてみた。今までは何日もかけて推敲していたから、30分ぐらいで書いているのが信じられない。

 若干批判的に書いてしまっているのだが、これは後日振り返って書いているからそういう見方をしてしまっているだけだ。
イベント自体はとても面白かった。あと、クッションがあったけど、流石にお尻が痛かった。自前の座布団持っていこうかしら。

 明日は、哲学者と編集者で考える、<売れる哲学書>のつくり方 | Peatixヘーゲル(再)入門ツアー 2019 東京編 in東京 - パスマーケットについて書いてみようかと思う。

 率直に言って、今までは「ブログを書くのは楽しいけど、意味が伝わるように考え続けるのは辛い」という感じだったのだけれど、勢いで書くのはとても楽しい。

 そんなわけで、勢いのために誤解等あると思いますが、そこはご了承を。