この記事は、素人がチェルノブイリと福島に行ってきた(その2) - かつげんの拠り所の続きです。
まだご覧になっていない方は、まずそちらを御覧ください。
今回は、前回の最後にも申し上げましたが、旅行記というよりも感想になります。
チェルノブイリに行った後に書いた文章ですが、ここに書いておきたいと思います。
壁と扉
突然ですが、今からあなたに3つの質問をします。
1. あなたは、「チェルノブイリ」という言葉を知っていますか?
2. あなたは、「チェルノブイリ」という言葉にどのようなイメージを持っていますか。
3. あなたは、「チェルノブイリ」が現在、どこの国にあるか知っていますか?
ツアーの約3週間後、今回の経験を発表する機会があった。この3つの質問は、その冒頭で聞いた質問だ。
1と2の質問には多くの手が挙がったが、3の質問で挙がった手は、まばらだった。聴衆の1人を指名して3の質問の答えを聞いたところ、「ロシア…?」という答えが返ってきた。
私たちは、「チェルノブイリ」という言葉を知っていて、その言葉に対して、「怖い」とか「危ない」というイメージを持っている。それなのに「チェルノブイリ」がある国を知らない。なんて理不尽で身勝手なイメージだろうか。
とはいえ、私もこのツアーに参加するまで、チェルノブイリの場所を知らず、この理不尽で身勝手なイメージ以上のことを考えたことがなかった。だからこそ、私はこのツアーに参加しようと思った。
私たちは、イメージがないと興味を持つことができない。そして、興味を持って前へ進むと、今度は壁が立ちはだかる。壁は私たちを阻む。そこで諦める者もいれば、さらに前へ進むために、この壁に反抗する者もいる。
そういう意味で、イメージとは壁に投影された影だ。私は、この影を批判する気にはなれない。影がなければ、チェルノブイリを知ろうと思わなかったし、このツアーに参加することもなかっただろう。
社会学者にゲオルグ・ジンメルという人がいる。1858年生まれのドイツ系ユダヤ人で、社会学という学問が出現し始めた時代の人物である。彼は、堅苦しい論文ではなく、エッセイのような散文で自らの考えを語る。私は、彼の考えや文章が好きで、かじる程度ではあるが読んだことがある。
彼は、自著の中でこんなことを言っている。
「壁は沈黙しているが、扉は語っている」
新石棺の壁、3号機と4号機を隔てる壁、原発の壁。それらは、技術的に見れば、私たちを放射能から守る壁だ。しかし一方で、人文的に見れば、私たちとチェルノブイリとのコミュニケーションを阻む壁である。
その壁の向こう側を見たいと思うとき、私たちは壁をくりぬき、取手や蝶番を付け、扉を設置する必要がある。いや、それはむしろ転倒しているのかもしれない。沈黙する壁に隔てられているからこそ、私たちはその向こう側を知りたいと思う。壁にイメージが投影されることで、私たちの欲望は喚起され、その欲望が扉を設置させる。
この欲望は、一方的で傲慢な欲望だ。ともすれば、壁の向こう側の平穏を壊してしまう。しかし、そのような一方的で、傲慢で、危険な欲望こそ、他者への跳躍のきっかけである。
扉を設置し、私たちが観光をするたびに、その扉の向こう側は改変されてしまう。それは、今回のツアーの中で如実に現れていた。
ミールヌイ氏が運営しているチェルノブイリ・ツアーは、商業化が進み、成形されたチェルノブイリを提供していた。ゾーンに入るゲートの前には、BGMの流れるお土産屋ができ、立派なロゴマークでデザインされたツアー用の車を、私たちは何度も見た。
すでにチェルノブイリの事故を経験していない世代が誕生し、ツアーガイドの若返りも進んでいる。チェルノブイリの子供たちは、この改変されたチェルノブイリを経験していく。こうして、事故当時の経験は改変され、希釈され、やがて忘却されていく。事故を経験した者は、当然その忘却を予想する。そして彼ら自身も、その忘却に飲み込まれてしまう。改変され、希釈され、忘却されていく中で伝えることは、ひどく疲れる。嫌になる。諦めそうになる。それでも彼らは、彼ら自身の経験を伝え、残していこうとする。
私たち観光客は、扉を設置することで、その向こう側を改変してしまうことを想像しなければならない。私たち観光客が、勝手に解釈することの暴力性を想像しなければならない。経験を伝える彼らの苦しみを想像しなければならない。そうした想像を経て、私たち観光客はその扉を開けることができる。そして、「私のお父さん、昔プリピャチに住んでいたんだよ!」と自慢げに友だちに話す子供を見たとき、事故を経験した者は、その苦しみから少し救われるのだと思う。
私たち観光客は、傲慢に扉を開ける。しかし、扉を開けていくと、やがて扉を設置できない壁が立ちはだかる。それは、当事者性という壁だ。私たちは、必ずこの壁に阻まれる。
しかし仮に、この壁の向こう側を知ることが出来たとしたら、おそらく観光は途絶えてしまうだろう。だから私たちは、壁があるということについて、敬意を払わなければならない。私たちは、やがて壁の向こう側を知ることが出来なくなるということについて、敬意を払わなければならない。その壁の存在によって初めて、私たちは観光客でいられるのだから。
以上で、「素人がチェルノブイリと福島に行ってきた」のシリーズは終わりになります。
ご興味のある方、行ってみたい方などいましたら気軽にご連絡ください。