かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

ひとが自由を感じるとき ー坂本真綾についてー

 先日、このイベントに行った。 

 10thアルバム「今日だけの音楽」全曲先行試聴会

 オープニングトーク→試聴→クロージングトーク

 という流れだったのだが、話を聞いている中で、坂本真綾について書きたいことが出てきたので、書いてみたいと思う。

坂本真綾と振れ幅

 坂本真綾には、振れ幅がある。

 坂本真綾の曲の歌詞は、まず物事をマイナスで捉えて、その後、そのマイナスを受け止めて、プラスに捉えていく。
 数直線で言えば、最初から「+2」を提示するのではなく、「-2から+2」に移行していくような形を取る。

 だから、最終的に行き着く場所は同じだが、坂本真綾の場合には、その場所に行くまでの振れ幅がある。

 私にとっての坂本真綾の理解は、このようなものだった。
 これを岩里祐穂「否定からの肯定で坂本真綾の世界はけっこう作られているな」と述べている。

坂本真綾と自由に対する不安

 坂本真綾は、自由に対して不安に思っている。
 例えば「自由って切なくないですか?」とか「憧れていた自由。誰にも咎められないことの悲しさを思い知る」などと歌っている。
 普通は、自由を手に入れたら、喜ぶものである。しかし、坂本真綾の提示する自由は、自由を手にしたい思っていたのにも関わらず、その願いが叶うと戸惑ってしまう自由なのである。

坂本真綾と制限

 今回のアルバムは「大喜利」だと、坂本真綾は言っていた。「今日だけの音楽」というテーマやショートストーリーを与えて、それぞれの人に自由に作ってもらっているということだった。

 これは演劇にも似たようなところがあるという。つまり、一つの場面やセリフを与えられて、その中で表現する。
 思えば、自分はそういう制限の中で、如何に表現していくかということを軸に考えてきたのだと、本人は言う。
 つまり坂本真綾は、何らかの制限に対して、それなりに肯定的なのだ。

 いやむしろ、坂本真綾にとっての自由とは、制限があってこそ生まれるものと言っていい。

 そういう意味で、先述したような歌詞に出てくる自由とは、なんら制限なく、自分のしたいようにできる自由なのであって、そのような自由すぎる自由に戸惑いを覚えるのも当然である。

今日だけの音楽

 しかし、このような自由観は、乗り越えられようとしている気がする。それは、アルバム「シンガーソングライター」から始まっている。

 表題曲であるシンガーソングライターという曲は、良く言えば「人生讃歌」であり、悪く言ってしまえば「人生なんでもあり」という歌詞である。

 つまり、制限を前提とした自由の獲得ではなく、もっと大きな目標として、人生そのものの充実にシフトしていっている。

 今回のアルバムは、「今日だけの音楽」まさにその方向性が明確に打ち出されたアルバムなのだろうと思う。

けれども、受け入れること

 人は、生い立ちや環境などで制限を受ける。「金持ちの家に生まれていれば…」とか「もっとこうしておけば…」と思うことも多々ある。

 そうした制限の中で、自由になるには、色々な選択肢がある。
 それは、そもそも制限を撤廃する方向なのかもしれないし、制限の中で自由であろうとすることなのかもしれない。
 しかしいずれにしろ、その制限を認識しないことには始まらない。

 制限はある。けれども受け入れること。
 全てはそこから始まること。

 私が坂本真綾に惹かれるのは、そういうところなのだと思う。 

 

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