かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

アートにおける映像作品が苦手

 最近、美術館によく行くようになったのだが、そこで気になっているのが、映像作品についてだ。
 もちろん、特定の映像作品が良いとか悪いとか、そういう話ではない。むしろ、その「建付け」の話といって良い。

 映像作品は、身体的にも時間的にも、私たちを拘束してしまう特徴がある。

 第一に、その作品を最後まで見ないと、その作品についての判断ができない。
 絵や写真であれば、パッと見て、好きなら好き、嫌いなら嫌いと判断できる。しかし、映像作品では、20分の作品であれば、20分見ないと、その判断を下しづらい。

 もちろん、20分の作品を開始5分で判断することはできる。しかしそのような判断の仕方が一般化すれば、「サビ始まりの音楽」が増えるのと同じことが起きる。それは、製作者側にとってもよくない傾向のように思う。

 第二に、映画と違い、美術館での映像作品は、作品の途中から見始めることがほとんどである。「たまたま部屋に入ったらやっていた」というやつだ。
 しかしこれでは、作品が始まってから今までどのぐらい経っているのか、また、あとどれぐらいでこの作品が終わるのかが分からない。

 そういう2つの理由で、私はアートにおける映像作品が苦手だ。

 これらの理由は、鑑賞者側が映像作品を見る上で、ある程度甘受すべき欠点だと思う。しかし、その見せ方について、これらの問題をできるだけ解決する方向に持っていってほしいとも思っている。

 例えば、開始時間を指定して前もって公開したり、公開している部屋のどこかしらで、経過している時間を表示するなどを行えば、これらの欠点は改善するはずである。
 もちろん、こういった策を行うことが、表現内容そのものへの介入なのだという話もあるだろう。

 しかし、そもそも美術館等で作品を公開することは、人に見てほしいから公開しているはずであって、鑑賞者がより鑑賞しやすい仕組みを作ることは、必要なことだ。

 こういった問題を放置して、「俺の映像作品をちゃんと見てくれ」と言ってしまえば、やはりそれは「特権意識」と言われても仕方ないのではないかという気がする。