1990年前後から「情報化社会」と言われ始めたであろうから、もう30年近く経つことになる。
おかげで、世の中は「情報」に溢れ、インターネットはでき、凄まじい変化を遂げている。
しかし、情報化社会の要点は、量的な意味で「世の中に情報があふれる」ことではない。
「情報化社会」と言われるときに大事なのは、「情報(量)」ではなくて「(変)化」のほうではないか。
というのも、例えば、パソコンのアプリケーションにエラーが出て使えず、ネットで検索して解決方法を探るとき、「そのものズバリの答え」というのは意外と見つからなかったりする。
本人の検索能力の有無にもよるわけだが、「これがほしい!」と思った情報が必ず存在するかといわれると、そういうわけではない。
つまり、情報化社会における、情報の量的な増大は、既にあるモノやコトが「情報に変化」することによる。情報量の増大は副次的である。その副次的な結果を「情報化社会」と捉えるのは、間違っているとは言わないが(莫大な増大によって、社会が質的にも変化したという議論はあるだろう)、少しズレているのではないか。
こういう事態を考えたとき、私が価値を置くのは、量的に情報を増やすのではなく、そもそも情報「化」させることにある。
公務員の情報は、Twitter等でネットにあふれているようで、実は画一的なように見受けられる。
なんとなく、今後の自分の方向性がわかってきたような気がするので、記録的に書いてみた。