科学には実感がない。
科学は、世の中の現状を人間の感覚から切り離し、客観的に記述する(しようとする)ことによって成り立つ学問である。
例えば、「物質は原子で成り立っている」という科学的事実があっても、それを実感することはない。
「科学リテラシー」と言ったときに重要なのは、このように実感のないものをいかに判断するのか?という能力だ。
インターネットが誕生してからというもの、私たちは、実感の伴わない情報の飛び交う世界に生きている。実感の伴わない情報を摂取し、それらを組み立てることで、一つの推論(勝ち筋)を創作したりする。
逆にいえば、私たちは大量の情報の中から、自分の実感を肯定してくれるような情報だけを摂取する。
このようにして、自分の実感を伴うようになった情報を、人は強く信じる。
その情報は、本人にとってはまるで啓示のようだ。
神も科学も、情報だから実感がない。
だからこそ、すべてが情報化されるこの社会の中で、両者は接近している。
社会のリテラシーが嘆かれているうちは、まだ良い。
しかし、これらの情報の中には、実感したときにはすでに手遅れになってしまう情報もある。
実感のないものを実感を持つ前にいかに判断するか。
このようなリテラシーが、まさに今求められている。