かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

公務員ウケする公務員を目指さない

言いたいことは題名の通りなのだが、以下補足。

インターネットをどのように使っても自由なのだが、どうも地方公務員界隈は、公務員あるあるとか仕事の愚痴とかの身内ネタだったり、地方公務員に対する自己啓発を行っている人が多い気がしている。

現役公務員のブログにしても、やっぱり“公務員のための”ブログが多くて、それがダメというわけではないんだけど、そういう態度が、身内の団結力というか、地方公務員としての”塊”を強固にしている方向にしか進んでいない気がして、本当にそういう方向でいいんだろうかと考えてしまう。

私は旅行で多様な参加者と出会って、「自分の生きている世界の、なんと狭いことか」と思ったのだけれど、そんな感覚を与えてしまったのは、公務員の仲間内でしか通用しない論理が常識化してしまって、それを先鋭化させていく自分に気づいたということなのだと思う。

卑近な例かもしれないけど、法制執務をやっていたときは、広告の句読点の打ち方にイライラするし、福祉をやっていると、街なかの介護施設の看板が嫌でも目に入って、その場でどんな施設かを検索する。

そういうちょっとした「職業病」の積み重ねが、自分の視点を良くも悪くも固定して、常識化させてしまう。
私が公務員1年目のときに教えてもらいたかったこと(その1) - かつげんの拠り所 の最初で「仕事を覚えるということは、自分が新人だった頃の気持ちを忘れていくということでもある」と言っているけど、それは必然的なことなのだと思う。

ダイバーシティとかSDGsとか言われている中で、外部環境の取り入れ方が、現状ITとかRPAみたいな話しか見受けられないのは、少し悲しい。「公務員的なもの」を再生産する力というのは、かなり強固、というより、逃れられない幻影みたいな感じなのかもしれない。

だけど、だからといって「公務員ですが何か?」とか「逃れられませんけど何か?」と開き直る態度は、やっぱり違う。大事なのは、ある意味で「新人」になるということであって、ある意味で「『公務員であること』をやめる」ということなのだと思う。

この話の最終的に行き着く先としては「いろんなものに触れよう」とか、ともすれば「個人のスキルアップ!」みたいな、意識高い系の陳腐な話になってしまうの気がするのだけれど、なんというか、「地方公務員である前に、私は人間なんだ」と。そういうことが言いたい。

私という総体に含まれる要素の一部分が、地方公務員というだけであって、それは私のすべてではない。
地方公務員以外の私は、あまりに身近すぎる多様性だと思うのだけれど、なんかそういうものが置いてけぼりにされていないかと。

そういう気がしたので書きました。