かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

蔓延するフリーランス的価値観

私は1992年生まれで、いわゆる「ゆとり世代」の真ん中ごろの世代だ。

私の世代は、個性や「自分らしさ」などが注目されていた。SMAP世界に一つだけの花もヒットしたし、大学でもキャリアデザイン学の授業があった。当時の感覚として、「自分らしい人生を自分の手で作り上げていくこと」に価値を置いていた社会だったように思う。

このような感覚の社会の中で育った私たちの世代は、やがて社会人になって、力を持つようになる。その結果、少なくとも今のインターネットの中では、フリーランス的価値観が蔓延している。

例えば、Work as Lifeといった言葉は、まさに仕事とプライベートの境目をなくした、フリーランス的価値観を基礎としている。また、「個人のスキルアップが重要」という価値観も、手に職をつけるという意味では、フリーランス的価値観と言えるだろう。鶏と卵ではあるが、自己啓発本の隆盛も関係しているはずだ。

加えて、こういった言説を強調するあまり、「会社を頼ってはいけない」ということも主張される。例えば「大企業は、これから衰退していく」とか「むしろ今のベンチャーこそ、将来の大企業なのだ」とか「副業を検討しよう」とかである。(元)公務員Youtuberの中には「公務員は安定していない」と主張する人すらいる。

確かに、技術を自分に内製することは、低成長でリスクの高い社会を生き残るための一つの手段と言える。こういったフリーランス的価値観は、私たちが受けてきた教育や社会状況の結果なのかもしれない。

確かにフリーランスは、自分で仕事を選べるし、会社に所属していないから会社から搾取されない。そういう意味で、Work as Lifeは達成できるし、自由度は高いであろう。

しかし、私としては、強い違和感を覚える。

自由度が高いということは、労務も税務も契約も、すべて自分で管理し、仕事相手からの搾取も自分で守らなければいけない。逆に言えば、会社ではこれらの「雑務」を行う部署があって、代わりにやってくれているということでもある。 フリーランス的価値観を主張する人は、どうもこういう部分が抜けているように見える。

「自分らしい人生を自分の手で作り上げていくこと」は、自分のコントロール下で、思い通りに人生を作り上げていくことではない。というか、そんなことは不可能だ。

フリーランスでも、会社でも、公務員でも、自分らしい人生を歩むことはできる。私たちの世代がこれから社会を担っていくにあたって、もう一度冷静に「自分らしさ」を見つめ直すべきではないか。

そんなことを考えている。