「自分の頭で考えよう」というフレーズが何年か前に流行った記憶がある。
私もそのフレーズには共感した。様々な情報が行き交う中で、情報をうのみにせず、自分の頭で考えよう。そういう意味合いだった。
しかし、先日こんなまとめが話題になっていた。
自分の頭で考えた結果、偏った思想になる。自分の都合の良い情報しか集めなくなる。
このまとめで言いたいことはつまり、「『自分の頭』って信頼できないよね。」ということなのだろう。
確かに、「巨人の肩の上に立つ」ことは効率的だし、より確実のような気もする。今の時代を見れば、必要な態度かもしれない。
しかし、それは言ってみれば「巨人の手段化」ではないだろうか。
自分で考えることの楽しさとか、喜びみたいなものがそぎ落とされているのではないか。
例えば、本を読んでいて、著名な人と考えていることと私の考えていることが一緒だったら、私はうれしい。
それは「車輪の再発明」であって、新規性なんてまるでないけど、考えるということにおいて大事なことなのではないか。
もちろん、情報が飛び交っているこの時代に、自分の頭だけで考えるのは危険な行為かもしれない。
しかし、だからといって「自分の頭で考えるな」ということとは違う。
たぶんこれは、「自分の頭で考える」vs「巨人の肩の上に立つ」という二項対立的な話ではない。
どちらも両立しうるし、両立しなければいけないような話なのだろう。
ゆとり世代における教育では「調べ学習」とか「総合の時間」というのがあったけれど、こう考えていくと、結構、的を得た教育だったのかもしれない、と今になって思う。