かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

逃げてもいいけど、その後どうする?

夏休み明け間近になると「逃げてもいいんだよ」という言葉をよく聞くようになる。
仕事の話もそうだ。理不尽なことや嫌なことがあったら、下手に立ち向かわずに「逃げてもいいんだよ」と言ったりする。

それで自死してしまったら元も子もないから、ひとまず辛い状況から逃げるというのは、選択肢としてあり得ることだと思う。今まで立ち向かってばかりで、消耗している人にしてみれば、そのような言葉が、天啓のように響いたりすることもある。

ただ、私は「逃げてもいいよ」ということは、あまり言いたくない。逃げてもいいけど、立ち向かうことも大事だ。立ち向かうことで得られる経験もある。強者の理論なのかもしれないが、事実としてそういう面はある。

また「逃げた後どうするか?」を考えないまま、とりあえず逃げてしまうのは得策ではないだろう。それは転職先の目当てもつけずに、とりあえず退職するようなもので、リスクが高すぎる。学生にしても、学校に行くことが当然で、それ以外の選択肢がほとんどない中で、逃げたあとに自分がどうするかは考えなければならない。もちろん「それ以外の選択肢がほとんどない」という状況自体がおかしい、という批判もあるだろう。

「逃げてもいいよ」という話を聞くたびに、私は「結局は自分の人生じゃないの?」と思う。自分の選択が、いい方向に転ぶのかは誰にも分からない。「あのとき立ち向かったおかげで今の自分がある」と思う人もいれば、「あのとき逃げたおかげで今の自分がある」と思う人もいる。単に逃げればいいというもんじゃないし、立ち向かえばいいというものでもない。大事なのは、どちらに転んだとしても、自分の人生であることを覚悟して、判断することなのだと思う。

「逃げるか、立ち向かうか」というのは、判断の具体的な内容でしかない。むしろ大事なのは、判断の主体性とか責任感なのではないか。

夏休み明けにこういう話を見かける度に考えてしまう。