かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

プロレスは、どのようにして負けるのか?

読んだ。

「プロレス」という言葉は、一般に「プロレスリング」のことを指す。だが、たまに「あれはプロレスだから」なんて言われることもある。この意味での「プロレス」は、争って"見えるように"争っているだけで、本気で争っているわけではないという意味だ。

実際のプロレスが、実は争っておらず、そのように見えるだけなのか。本当のところは分からない。しかし、エンターテインメントである以上、観客にどう見せるかという視点が入り込むことは、間違いないだろう。

さて、プロレスに「魅せ方」の視点が入り込むということは、その視点は技や試合の流れだけではなく、勝ち負けにすら入り込んでくるかもしれない。例えば、総合格闘技K-1では、選手が負けると、すぐに医者が状態を診たり、セコンドが駆け寄って支えることがよくある。

しかし、プロレスの場合はあまりそのようなことが見られない。それどころか、負けが決まっても、その後乱闘に持ち込んだり、ローリングしてすぐにリングから退場したり、はたまたマイクパフォーマンスをしたり。とてもじゃないが、意識を失って負けたとか、体力を出し切って負けたとは思えない。

もちろん、痛いことには痛いのだろう。日頃から身体を鍛えているからこそ、様々な技を受け、耐えられることには変わりない。出血もするし、骨折もする。「プロレスは八百長だ!」と言いたいわけではない。

しかし、体力を出し切って負けたのではないとしたら、彼らはどのようにして負けるのだろうか?

プロレスの解説を聞いていると、「この技は説得力がありますねー」というコメントを聞く。プロレスラーがやっているYouTubeでも「説得力」という言葉はよく出てくる。ここでいう「説得力」とは、「その技に効き目がありそうか」とか「試合の流れの中でここで終わって良いのか」など、観客の納得感を背景にした考え方だろう。

そうすると「プロレスの勝ち負けは、説得力によって決まる」ということなのだろうか。選手が客の反応や試合の流れを考えて、「これは負けてもしょうがない」とか「これは一本取られた」というような、ある種の「諦め」によって勝敗が決まるのだろうか。

考えてみれば、プロレスのルールは、他の格闘技と違って厳格に運用されていない。なぜか大事な時に審判が見ていないし、凶器や毒霧も使う。それは、プロレスの根底に「お客さんが楽しんでもらえればいい」という考えがあるからなのだろう。もしかしたら、勝ち負けもそのような考えの中で決まっていくものかもしれない。

そうすると、他の競技ではルールを厳格に適用するのに、なぜプロレスだけが、ルールが無視されるほど、過多にエンターテイメントに偏ることになったのか。同じレスリングであるはずのアマチュアレスリングですら、ルールが厳密に適用され、オリンピックの花形種目になっているにもかかわらず、なぜプロレスだけに治外法権が許されるのか。

言語学バーリ・トゥード」について書くつもりが、プロレスのことが気になって書いてしまった。でも、この本自体もそんな本だから、これはこれで良いのだと思うことにする。