かつげんの拠り所

1992年生のしがない福祉系地方公務員のブログ

「まだ出来る」と「より良い」の狭間で、地方公務員は浮遊する

地方公務員は、業務改善の意欲が乏しいと言われる。しかし実際のところは、少なくとも若手の中では、意欲自体はあるように思う。

例えば、被保護者の家に訪問に行く際、ケース記録を持っていくことがある。ケース記録は、生活保護を受けてから今までのやりとりなどが書いてあり、紙の量がかなり膨大である。必然的に重くもなり、訪問カバンを圧迫することになる。

おそらく、ほとんどのケースワーカーは「タブレットになったらいいのになー」と思っている。データをタブレットに入れるのか、クラウド的に使うかはさておき、タブレットでケース記録を見れたら、どんなに楽かと思っているだろう。欲を言えば、提出が必要な書類なども、タッチペンなどで記入できるようになるとよい。

ただ、このような改善意欲があっても、ほとんど実際の改善には繋がらない。なぜ、業務改善に繋がらないのだろう。理由は大きく分けると3つある。

1つ目は、改善を提案すると責任が生じるという点である。いわゆる「言い出しっぺの法則」というもので、「そこまで言うなら、君が音頭を取りなよ」というやつだ。
このような未来が想像ついてしまうからこそ、提案する勇気がない、面倒くさいということは言えるだろう。

2つ目は、提案や説得の仕方が分からないという点だ。改善したいと思っても、改善への道筋が分からない。提案に当たりどのような情報や説明をすれば良いのかが分からないということだ。

3つ目は、改善の必要性が求められるという点だ。「民間と比べて」と言うつもりはないが、公務員の場合「なぜその改善が必要なのか」という点を求められやすい傾向はあるだろう。今回の例でいえば、改善を提案しても「重いだろうけど、今まで持っていってたし、これからも持っていけるよね?」とか「必要な書類も自分で持っていけばいいよね?」と言われて、それで終わりになってしまうだろう。

つまり、税金を使っている以上「改善したほうがより良い」という提案理由では改善が難しく、「まだ出来るよね?」と現状で"出来てしまっている"ことを盾にされる。だから、改善の必要性は「もう出来ない」という職員の悲鳴か、定量的な「コストパフォーマンス」によって示されることが多い。

このため現場の職員は、「より良い」と「まだ出来る」の狭間で浮遊することとなる。

1つ目と2つ目の理由は、各職員の能力の問題だが、3つ目の理由は、公務員特有の難しさと言って良いだろう。

この難しさは、業務の評価が画一的であることが原因であるように思う。

役所が担う仕事は、そのほとんどが「業務目的の達成度」と「費用対効果」で評価されてしまい、その仕事は人間が担っているという視点が欠けている。重い書類を持って訪問に出かけることは、モチベーションが下がるし、書類紛失のおそれもあるが、ひとまず現状では「訪問に行く」という業務目的は達成されているから、新たに費用をかける必要性もない。

しかし、そういう評価軸だけでいいのだろうか。

例えば「気分よく仕事をする」とか「ミスを減らす仕組みを作る」という評価軸、抽象的に言えば職員のモチベーションのために業務を改善するとか、ユーザーインターフェイスを改善するという視点は、そこで人間が働いている以上、あって然るべきだろうと思う。

むしろ、そのような評価軸や配慮が無いために、職員の間で独自の工夫をして、ローカルルールが出来上がったりする。そして、一度ローカルルールが出来ると、組織内で情報や手段を共有することが難しくなる。

地方公務員全体に妙な閉塞感が漂っているのは、業務における評価があまりにも適切でないことから起因するのではないか。「業務評価が適切ではないために、その改善策も適切ではなくなる」という逆PDCAサイクルに陥っているように見える。