かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

2021年、今年の3冊

2021年に読んだ本は、12/18現在で117冊。

今年は、持っていた書籍の大部分を電子化して、図書館から借りた本も抜書きするなど、読書のデータ化を進めた年だった。

というわけで、2021年、今年の3冊。

去年に引き続き、精神疾患に関係する本を選んだ。

生活保護業務においては、生活保護制度の理解も当然必要だ。だが、一番むずかしいのはケース対応であり、その中でも特に難しいのは、性格に難のあるケースの対応である。

こういったいわゆる”困難ケース”に対して、どのように接するべきか。もちろん疾患の概要も書いてあるのだが、どちらかというと対応方法について詳しく、実践的に、軽い口調で書かれているのが本書の特徴である。

例えば、

妄想は精神病による強大な不安や違和感を鎮めるための説明装置であり、同時に「困っている」「助けてほしい」「わけが分からない」といった叫びでもある。わたしの心はどうかしてしまった、だから困り果てていると素直にSOSを発してくれれば話は簡単なのに、そんなふうにストレートに振る舞えない。それどころか荒唐無稽な物語でつじつまを合わせようとしてしまうのが、人間の興味深いところであり、やっかいなところなのです。(30)

「”人間”の興味深いところ」というように、精神疾患であることは認めつつ、しかし我々とは地続きであることが、著者の根底的な認識としてある。初心者向け医学書は、疾患とその特徴を並列表記するものも多いが、こういった表現は、著者の実践から生み出された表現であって、そこがこの本の面白いところだ。

また、精神疾患の対応法だけではなく、援助者側の仕事の進め方も添えて書いてるのもよかった。例えば、

そもそもケースが死亡したり不幸な結末を迎えてしまったとき、援助者の怠慢だ、落ち度だと非難してくるような人たち(マスコミとか弁護士とか現場を知らない管理職とか)は、ごく初歩的なことについてそれを実施したかどうかをいちいち確認してきます。しかし援助者のほうは、「そんなこと」をしても無駄なのは分かっていたから(あえて)していなかった、という場合が多い。現場感覚からすれば、それが普通なんです、と。
でも彼らは「え、そんなこともしていなかったんですか?」とわざとらしくあきれた表情を浮かべて責めてくるのが常道です。そうなると、正論には太刀打ちができません。わたしたちは窮地に立たされてしまう。まことにありがちなパターンです。そうした展開からも分かるように、自己保身は世間の視点に立脚した一種のチェック機能の発動であると考えてみてはどうでしょうか。(66)

といった文章もある。単に「精神疾患にはこう対応せよ!」という教条的な文ではなく、援助者側に寄り添った上での文章だから、やってみようという気持ちにさせる。

「援助者必携」と銘打っているが、その名の通り「必携」だと思う。

 

我々の脳は「知識を得ること=記憶すること」よりも「思考すること=考えること」に重きを置いていて、そのズレによって、「知ってるつもり」が生じてしまうという本。

知識というのは、本来脳が重視している”思考”に役立たせるために、臨機応変に出し入れするためのものである。

知識を表現するのは難しい。自分が知らないことはこれです、と特定するようなかたちで知識を表現するのは、なお難しい。知識のコミュニティに参加するには、すなわち自分の頭には知識の一部しか存在しない世界で生きていくためには、自分の記憶の中に保管されていないものを含めてどのような情報が入手可能か知っている必要がある。どのような情報が入手可能か把握するのは、至難の業だ。自分の頭のなかにあるものと、外にあるものの境界はシームレスでなければならない。私たちの知性は必然的に、自らの脳に入っている情報と、外部環境に存在する情報とを連続体として扱うような設計になっている。(24)

だから知識は、内容そのものよりも、それを出し入れする方法が重視される。そしてそのことによって、「方法を知っている」だけなのに、「内容を知っている」に錯覚する(つまり「知ってるつもり」)という、転倒が生じる。

この「知識は周辺的で、臨機応変に出し入れするもの」という考え方は、読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)にも通じる。この本もまさに「読んだふり」の本であって、「本を読むとは何なのか?」という根源的なところの議論をしている。

併せて読むと、また違う発見があるかもしれない。

 

この本は、ゆる言語学ラジオで知った本。川添愛は、言語学バーリ・トゥードで知っていた。

以前から、プログラミング”言語”という呼称に疑問があって、それが解決するのではないか?と思って読んだ。

結局プログラミングの始まりは、数字をグループ化して、それに対応する言葉を当てはめるという行為である。それは私たちが「モバイル向けオペレーティングシステムを備えた携帯電話」のことを、「スマートフォン」と呼んでいるのと同じことだ。

そして、こうして出来た言葉は、プール代数という論理を使い、私たちが生活で使う文に似せて使うことができる。これでプログラミング言語は出来上がる。

プログラミング言語への疑問を以前も解消しようとして、プログラムはなぜ動くのか 第3版 知っておきたいプログラミングの基礎知識を読んだことがあった。しかし、こちらの本では解消できなかった。

いわば「リベンジ」となったわけだが、かなり原理的な説明がされていて、疑問の大部分が解消できたように思う。と同時に「プール代数」については若干の怪しさを感じていて、時間があるときに、また調べてみたい。

 

去年は、あまりに仕事に引っ張られすぎた選書だったが、今年はそれなりにバランスの良い選書となって良かった。

実学も大事だが、そろそろ哲学に回帰していきたい気持ちも出てきている。来年は、どういう本を読むことになるのだろうか。

 

最後に、去年の3冊はこちら

katsugen0331.hatenablog.com