例えば、前澤社長のような人がニュースになると、ネットのある一定数の人が「金持ちはどんどん金を使って、経済を回すべき」というコメントを寄せる。
一般論として、そのような論理は理解できるのだが、個人的には違和感を覚えている。
ここでいう「経済を回す」というのは、一体どういうことなのか。いくら富豪といえども、たった一人のお金のやり取りで、「経済が回る」のだろうか。
また、仮に経済が回ったところで、その良い影響は、本当に私たちにも及んでくるのだろうか。単にハイステータスな人たちの経済が回るだけで、私たちはそのおこぼれを預かるどころか、むしろこれまでよりも搾取されてしまうのではないか。そしてこの構造は、アベノミクスが目指したトリクルダウン理論と同じではないか。
経済問題の詳細に話を持っていきたいわけではないが、「金持ちはどんどん経済を回すべき」という意見に、私は違和感を覚えるし、的外れのように見える。
こういった意見は、意見の内容そのものよりも、そのようなコメントを寄せることによって、何らかのメッセージを発したいのだろう。
つまり「俺は金持ちを単に憎んているわけではないぞ」とか「感情に流されず、客観的に物事を見ているぞ」という裏のメッセージを発するために、このようなことを言っている。そうすることで、「俺は他人とは違うのだ。賢いのだ。」と周りにわかってほしいのではないか。
しかし、その試みは失敗している。
「屈折した従順さ」とも言うべきか、反発に対して反発することで、元の鞘に収まっている。
このような姿を見ると、頭だけで考えて、変に論理をこねくり回すのは良くないことがわかる。まだ「金持ち憎し」と言ってくれたほうが、素直で共感を得られるのではないか。