かつげんの拠り所

1992年生のしがない福祉系地方公務員のブログ

福祉は待つのも仕事である

福祉の仕事をしていると、この仕事がいかに人の価値観に左右されているかかが分かる。相手がどういう言動・行動を取るのか検討もつかないし、こちらが何かを勧めても、相手が嫌だといえば、仕事は前に進まない。

内部の職員相手の仕事なら、相手の行動に予測がつく。人それぞれ違う人生を歩んでいるとは言え、ケースに比べれば似たような人生を歩んできたし、お互い職務上の立場があるから、異常行動に歯止めがかかる。このようなある程度「よく知った仲」での仕事は、相手の行動に予測がつくから、自分の努力が結果に結びつきやすい。

しかしこのような「よく知った仲」の感覚で、福祉の仕事は出来ない。

こちらが”常識的”に、その人にとって”メリット”しかない提案をしたとしても、断られてしまう。申請すれば、お手軽にお金が貰えるのに拒否をする。今より良い暮らしが出来るはずなのに拒否をする。こういう本人の”非常識”な対応に、嫌になってしまうケースワーカーもいる。私は慣れた方だと思うが、それでも「なんで拒否するの?」とイラッとすることもある。

人間は、それを「やってみたい」と思わなければ、やらない。本人に自発性がないと、本人は動かない。

私たちは「周りの空気を読んで、やりたくなくてもやる」ということが出来る。だからこそ外圧が通用する。「やりたくなくてもやる」という行為は一種の社会適応能力だが、しかし、その能力が十分にある人ばかりではない。自分の思ったことを、適切な手段で表現するのが苦手な人だっている。イライラするからカッターナイフを振り回したり、寂しいから警察を呼ぶといったように。

こういう社会適応能力が十分でない人もいるということ自覚しないと、福祉の仕事は辛くなる。こちらの都合のいいように、無理やりやらせたとしても、信頼関係が破綻して、回り回って悪影響を及ぼすこともある。

だから福祉の仕事では、「やった分だけ結果が出る」という関数的な考え方を改めなければならない。そうしないと、ケースもケースワーカーも不幸になってしまう。人間へのアプローチはテスト勉強とは違う。やってもやっても結果が出ないのが福祉なのだ。

ではどうすればいいのか。何もしなくていいのか?そういうことではない。やるべきことはやらなければならない。本人が断ってくるだろうことが予想されても、様々な選択肢があることを本人に示す。通院を促す。支援員と相談する。ケース診断会議にかける。

結果が付いてくるかどうかは、本人次第だ。であれば、こちらはこちらで、自分が後で批判されないように、やるべきことを抜け目なくやる。「結果が出たらラッキー」ぐらいのスタンスがちょうどよいのかもしれない。

その上で、あとは待つしかない。

「待つ」といって嫌な気持ちになるなら「時間に仕事をさせる」と言ってもよいだろう。先ほども言ったように、何かをやれば結果が出るものではない。「サボっているような気持ちになるからアプローチしたい」なら、それはもはや本人のためではなく、ケースワーカーの欲でしかない。

やるべき仕事をやったなら、あとは時間に仕事をさせるしかない。
状況が変わらないなら、変わるまで待つ。我々の手段は、もはやこれしか残されていないのである。