こういう人のせいで、多くの善良な子育てする男性たちまで警戒する対象になってしまうことが迷惑この上ないし、こうした犯罪は「あって仕方ないもの」ではないのだから、店舗側も迷惑被っている顧客側も一緒になってふざけるなと言っていく必要があるなと思う。ふざけるな。 https://t.co/N0fuCNbKeK
— シオリーヌ🩸『やらねばならぬと思いつつ』発売中 (@shiori_mw) 2022年2月13日
こういう、ごく一部の人のせいで全体が犠牲になることが、最近多い。一部だから我慢しろという話ではなく、一部を取り上げてまるで全部がそうであるかのように捉えられてしまう。特にTwitterが出てきて以降、このような話が多くなった。
この話も、その亜種かもしれない。「頭の悪い人」を取り上げて、相手全体を「頭の悪い人」としてしまうわけだ。
このようなことを防ぐためにはどうすればいいだろう。
おそらく「ごく一部の人」がまさに「ごく一部」であることを、私たちが認識するしかない。しかし普段の生活のなかで「一部の人を全体と取り違えるなよ!」とお説教をしても、聞き入れてくれないだろう。「そんなこと分かってるよ!」と言われるのがオチだ。しかし、そんなこと分かっていながら、結局はそのように取り違えてしまう。
つまり「ごく一部の人がやったことを全体に敷衍してしまうこと」は、錯覚とか思考のクセのようなもので、人間として逃れられないもののように思う。
そうすると、究極的には、その”一部”とは誰なのかを特定できる仕組みが必要なのかもしれない。「”この人”が悪いんです」と指し示せるような仕組みが必要だ。しかしそれは全体管理化につながる。
2000年代に、ネットの匿名/顕名論争というのがあった。ネットの誹謗中傷は、匿名性によるから、顕名にしてしまえば抑えられるだろうという発想だ。いつの間にかその話題は立ち消えになったが、ここまでネット上の問題が深刻化すると、もう一度この論争が回帰するのではないだろうか。
論争当時に比べて、「一部の人に迷惑している全体の人」が非常に多く、2000年代のときよりも、匿名性の排除に傾きやすいように思う。また「ネット上での匿名性は保持したままで、行政や第三者機関からは常に特定することができる」という仕組みは構築可能だろう。マイナンバーと結びつけることだって出来るかもしれない。
こうした具体的な提案が出てきたとき、以前のようにネットの匿名性を堅持する主張は出来るのか。さすがにもう難しいような気がしている。