人の善意を前提とするものの全てが適切だとは限らないという視点は時に人と自分を守る。それが本当に必要なものなのか自分で調べてみるがいい。貴方がずっと信じて来た年月と同じ年月をかけて調べろとは言わない。もっと短くてよい。
— Susumu Hirasawa (@hirasawa) 2022年3月7日
一方ネオナチにせっせと募金するグロテスクな善意たち。
平沢進は、何を言っているのかを明確にしない書き方をする。しかし「一方ネオナチにせっせと募金するグロテスクな善意たち。」という文は、明らかに現在のウクライナ情勢について話しているし、ウクライナをネオナチと言っているようにしか読めない。
そもそも「ネオナチ」という単語は、非常に強い意味を持つ言葉である。特に昨今の情勢では、この言葉を使うことは危険だと言ってよいだろう。例え私の解釈が間違っていたとしても、誤解されるだけの表現をしているのではないかと思う。
普段は、あいまいで形而上的な言葉を使う平沢が、今回なぜこのような言葉を使ったのかよく分からない。自分の意見があるにせよ、もっとぼやかした言い方をすればよかった(というか前半の文で終わらせればよかったのに)、そこで終わらせることが出来なかったのだろう。感情的に、どうしても後半の一言が言いたかった。というかむしろ、このTweetは、その最後の一言を言うためにこしらえたのかもしれない。
そしてこのあとに、
一般的には一種類という認識ですが、その文脈では全く私の言うことの意味が分かりません。
— Susumu Hirasawa (@hirasawa) 2022年3月8日
ヒラサワは何故あんなことを言う?と思った方には学ぶチャンスがあります。
脊髄反射敵意にヒラサワはついに戦争賛同者になったか、と鼻息を荒くする民は、知るチャンスを失っています。
と言っているけれども、「学ぶチャンス」などというように、どうも上から目線な感じが目立つ。
「平沢ワールド」というのはたしかにある。その世界観は音楽自体もそうだが、本人のキャラや言葉から構築されている。それがファンを生み出しているといってよいだろう。そしてその根底には「分かるやつだけついて来れればいい」という考えがある。
エヴァンゲリオンもそうだが、難解なものはインターネットで好まれる。「俺だけが本当の意味を分かっている」というマウントを取りやすいからである。こういった習性を活かしているのが「平沢ワールド」と言えるだろう。
しかし、今回については「分かるやつだけついて来れればいい」という考えが仇となっているような気がしてならない。
「平沢さん、今回のはさすがにマズイですよ」と指摘してくれるファンや関係者がいてほしいなと思う。