かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

「分かるやつだけついて来ればいい」では、誰もついていかなくなる。

平沢進は、何を言っているのかを明確にしない書き方をする。しかし「一方ネオナチにせっせと募金するグロテスクな善意たち。」という文は、明らかに現在のウクライナ情勢について話しているし、ウクライナをネオナチと言っているようにしか読めない。

そもそも「ネオナチ」という単語は、非常に強い意味を持つ言葉である。特に昨今の情勢では、この言葉を使うことは危険だと言ってよいだろう。例え私の解釈が間違っていたとしても、誤解されるだけの表現をしているのではないかと思う。

普段は、あいまいで形而上的な言葉を使う平沢が、今回なぜこのような言葉を使ったのかよく分からない。自分の意見があるにせよ、もっとぼやかした言い方をすればよかった(というか前半の文で終わらせればよかったのに)、そこで終わらせることが出来なかったのだろう。感情的に、どうしても後半の一言が言いたかった。というかむしろ、このTweetは、その最後の一言を言うためにこしらえたのかもしれない。

そしてこのあとに、

と言っているけれども、「学ぶチャンス」などというように、どうも上から目線な感じが目立つ。

「平沢ワールド」というのはたしかにある。その世界観は音楽自体もそうだが、本人のキャラや言葉から構築されている。それがファンを生み出しているといってよいだろう。そしてその根底には「分かるやつだけついて来れればいい」という考えがある。

エヴァンゲリオンもそうだが、難解なものはインターネットで好まれる。「俺だけが本当の意味を分かっている」というマウントを取りやすいからである。こういった習性を活かしているのが「平沢ワールド」と言えるだろう。

しかし、今回については「分かるやつだけついて来れればいい」という考えが仇となっているような気がしてならない。

「平沢さん、今回のはさすがにマズイですよ」と指摘してくれるファンや関係者がいてほしいなと思う。