かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

自分と向き合わなければならない

彼女と別れた話を先日書いた。(別れ話 - かつげんの拠り所)それでは自分にはどういう人が合うんだろうか。

いろんな条件に思いめぐらすのだが、彼女が新たにできたところで、自分の孤独感は消えないように思う。むしろ「彼女がいるのに寂しい」という感情によって、孤独感は増幅するかもしれない。

もちろん、自分の孤独感を消すために彼女を作るわけではない。ただ、これまでそういうことを期待して彼女が欲しいと思っていたフシは、あるかもしれない。

結局、いままで私は、自分に足りない部分を埋めるものを外に求めていたように思う。それに向けて頑張っているときは、自分の孤独感と向き合うことはないし、成果を出せばうれしい。そういう繰り返しによって、“食いつないできた”のかもしれない。

哲学や政治思想に興味があるのも、自分と向き合うためではなく、他人の思想をかいつまんで、それで自分の孤独感を埋めようとしていたのではないか、という気がする。どこか外向きで、自分のことを分かりたいようで、本当にそのつもりがあるのか、自分でもよく分からない。

私がこれから向き合わなければならないのは、何をしても後ろをついて回る孤独感であり、「そもそも自分はどういう人間なのか?」ということなのだろう。

自分の孤独感がどこから生じて、どう対処する(受容も含めて)のがよいのか。いままでぼんやりとイメージで抱いていた自己について、真剣に考えていかなければいけないようだ。

そうでないと、仮に彼女が出来て結婚しても、趣味に打ち込んだとしても、どこか虚無感のある人生にしかならない。

こういうことをウンウン自分で考えても、深みに嵌まるだけで、いい結果に結びつくとは思えない。だから誰かと話していくなかで、考えていった方がいいのだろう。

私が占い好きなのも、ここで書いたように誰かと話して、カウンセリングをしてもらうことが必要だと、無意識のうちに気づいているからではないだろうか。

それであれば、いいのか悪いのか分からない占い師よりも、理論的根拠のあるちゃんとした心理カウンセラーに通った方がいいという気がする。ハードルが高いし、安くもないから、これからまた検討しなければならないが、自分と向き合うには誰かの助けが必要であることは間違いないだろう。

私は今年で30歳になる。30歳は「而立」で、40歳になると「不惑」である。

やはり30歳は、こういうことを考え始める時期なのかもしれない。