かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

加害者になる勇気

自分の気持ちや要望を伝えずに、「周りの人が自分の気持ちを察するべき」と思っている人がいる。

それで周りの人が察してくれればよいが、自分の思うままに動いてくれないと「なんで察してくれないの?」と逆ギレする。または、気持ちは察したものの、その手段が不適切だと「うわ、キモ…」なんて言われてしまう。

こういう人は、自分からは動かないことによって、被害者の側に回ることができる。なぜなら、積極的な行動をするのは常に周りの人で、自分は受け身に回ることで、周りの人の積極的な行動の加害性が目立ってしまうからである。

何もしないという行動は、そもそも目立たないし、「しないのではなく、出来ない」とか「私が悪いのではなく、社会や環境が悪い」という言い訳も立ちやすい。

そうやって被害者の側へ引きこもるのは楽だし、特に最近は、社会全体にそういう傾向が有るように見える。

しかし、本当にそれでいいのだろうか。互いに不干渉で、誰かに何かをしてもらったり、誰かのせいにするのが当たり前になっていいのか?と思ったりする。

積極的に行動するということは、それだけ目立ちやすいし、自分がそれを行うことで嫌な思いをする人も出てくる。そういった人を減らす努力はすべきだが、被害者をゼロにはできないだろう。

しかしだからといって、何もしないという訳にはいかない。被害者のままでは、いつまでも周りの"加害者"に振り回され、そして暗に振り回されることを望み、人生の主導権を他人に握られたままなのである。

自分の人生を主体的に作っていくには、加害者になる勇気が必要だ。そしてそれに伴って発生した責任を引き受けることが必要なのだ