クラウドサービスやサブスクが隆盛している今、なにかを所有するということが改めて問われている。
つまり「所有」と「利用」を分離し、「わざわざ所有することなく利用権だけを持っていればよいではないか?」という考えが、世の中に浸透し始めている。
「利用のための所有」と「所有のための所有」が分けられた今、我々はなんのために所有するのだろう。
元々所有という概念は、労働と結びついていた。自分が労働をして獲得したものを、自分が所有する。そしてそれを利用する権利がある、と。
しかし今や、所有は何にも結びついていない。
そうすると、「コレクター」のように、所有するということ自体が目的となり、所有することが珍しいものになる。
しかし、利用権だけを持つことは、その物を誰かと共有することであり、その誰かと繋がり続けることを意味する。それはまさに「サブスクリプション」という契約形態に現われている。
そうなると所有することの意味は、その繋がりの拒否にあるのかもしれない。なにかを購入することで、何をどれぐらい繋がるかを自分の思うままにコントロールできる。まさに「買い”切る”」という言葉は、その関係を指しているように思う。
いずれにしろ、所有と利用の分離は、今後問題になってくる。その問題は、利用することではなく、所有することの価値や意味を問うものになるだろう。
そのとき所有の擁護がなされるのか。はたまた利用に押されて、所有の無価値が強調されてしまうのか。
そう考えているうちに、新たなサービスが出てくるような気もするが、それまでは考えていたい。