LGBTの人が「あんたホントにブスね」と、テレビなどで言っているのをたまに見る。
ここでいう「ブス」とは、必ずしも容姿のことだけではなく、性格のことを指しているときがある。
というか、公然と容姿のことを批判するのは、今の世の中ではなかなか難しいだろう。
このような話になると、人は相手の中の「ブス」を読み取って、それを指して「ブスね」と思っているように聞こえる。
ただ最近思うのは、この「ブスさ」は内面だけではなく、外面にも、特に顔に現れてくるのではないかということだ。
例えば、仕事で嫌がらせをされたとか、上から目線で指示してくるとか、そういう過去によってその人へ苦手意識がある場合、いくら顔がイケメンだろうと、顔を見ただけで「うわっ」と思う。
つまり、顔というのは決して容姿だけではなく、その人自身を表すアイコンとして機能している。
というよりむしろ、顔が容姿として機能するのは、おそらく会ってから数回までであって、その人のことを知るたびに、その人に対する評価が顔を覆っていく。
たぶん「美人は3日で飽きる」というのは、会うたびに、「評価としての顔」が「容姿としての顔」を覆っていくからだろう。
「性格ブス」は顔に出る。
そういう意味では「人間、中身で勝負」と強弁するのも、決して間違っているわけではないかもしれない。