かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

美学をもつ

仕事をしていると、Aを選ぶにしても決め手に欠け、Bを選ぶにしても決め手に欠けるということがある。または、AでもBでも理由が立つから、選べないということもある。

Aしか理由が立たないのであれば、自動でAに決まるわけだが、「AでもBでもどっちでもいい」という状態が一番困ってしまう。

こういうときに「美学」が必要になる。

「価値観」とか「こだわり」と言い換えてもよいだろう。「どっちでもいい」という状態でどちらかに決めるには、より詳細な理由立てが必要であり、その詳細に立ち入るには美学が必要だ。

美学やこだわりは、頭の硬さ・融通の効かなさの象徴のように考えていた。だから、これまでは出来るだけ持たないでおこうと思っていた。

しかし、より深く考えるために美学は必要だし、仮に融通の効かなさという弱点を獲得してしまっても、それを上回る利点があるのではないか、と考えるようになってきた。

僕は、こういう文はいいと思う、こういう文はよくないと思う。そういうことがなければ、少なくとも批評は存在できない。いや、ほんと言うと批評だけじゃなくて、文章を書くことに熱意を注ぐ、ということが存在できなくなってしまう。その熱意が、大きく言って美というものを成り立たせているからです。いいですか。いろいろあるよ、と言っていたら、美も存在できなくなるんです。(15)

頭の柔らかさや柔軟性が不要だと言いたいわけではない。しかし、順番としてはまず美学が先にある。その頭の硬さをほぐすようにして、柔軟性は獲得されるのだろう。