『コンビニ人間』を読んだ。
私が大学生の頃は「個性」という言葉がしきりに重要視された。今や「個性」という言葉は、ことさら強調されなくなった。
これは「個性」の流行が終わったというよりも、個性が一般化して、言及されなくなったということだろう。
個性とは、一般的には「あるがままの自分」という意味の受け取られ方をするが、実際は他人との差別化であり、誰かを出し抜く競争的価値観である。結局、あるがままの自分は社会に認められず、「社会における自分の個性」が求められてしまう。
つまり、個性を発揮するには、社会の動きや周囲の価値観をつねにモニターし、それに自分を(適応しないという判断も含めて)適応し、自分の居場所を見つけていく必要がある。
こういった、社会への適応から脱落した人は、「繊細さん」や「HSP」といった文脈で回収されていく。つまり「繊細さん」や「HSP」というレッテルを借りることで、社会の中に居場所を見つけていくことになる。
これまでも「うつ」や「ADHD」など、病名/障害名を自己診断することで、社会の中の居場所を見つけるということはあった。精神疾患は”流行”するのである。
しかし「うつ」や「ADHD」と違い、「繊細さん」や「HSP」は、もはや病名/障害名ですらない。
ここに、社会から脱落した者のさらなる苦境を見るのは、私だけではないはずだ。