「ナニカグループ」という批判(?)の仕方があるらしい。
こういう動きを見ていると、目的を持って徒党を組むこと自体が、権力的とみなされ、忌避される傾向にあるのではないかと思う。
先日こんな本を読んだ。
ある種の人々は、徒党を組む(例えば”黒人”として集まり、政治運動をしていくアイデンティティポリティクス的な)ことは、個人の言いたいことを言えなくし、権力的であるという主張をする。
その結果、「男もいろいろ、女もいろいろ」となり、団結できずにバラバラになる。
たしかにそれは、団結によって生じる権力を排除するという意味では自由だが、しかし団結によって勝ち取る自由も排除する。
陰謀論の類は、「実は裏でつながっている」とか「ディープステート」など、グループの示唆であることが多い。逆に、陰謀論である個人がすべてを操っていたのだという話は、あまり聞かない。個人による陰謀論は、もはや宗教的になっていくのだろう。
「人は一人では生きていけない」と人生論を吹くつもりはないが、何かを達成しようとするときに、仲間を募り、一緒に行動することは重要な戦略である。そうやって社会が保たれ、改善されている面は大いにある。
そのような状況で、「徒党を組むこと自体が権力的である」と批判されてしまっては、ますます一部に権力が集中し、不自由になっていくのではないか。