「私はこういう人間だ」という自己認識をアイデンティティと呼ぶとすれば、アイデンティティは認識のために必要ではあるものの、過度に意識しすぎると上手くいかない。
アイデンティティは、客観的事実ではない。言ってみれば思いこみである。だからアイデンティティは間違っているかもしれない。
仮に間違っていたとしても、単に自分がそう思っているだけなら良い。しかし、さらなる問題は、そのアイデンティティに基づいて環境を変えたり、自分に合う(と思いこんでいる)環境へ飛び込んだりする。
そして、その新たな環境によって、アイデンティティはさらに強化され、固執していく。
つまりアイデンティティという思い込みは、いわば自動的に固執していきやすい。
「いい・悪い」という価値判断の話をしたいわけではなく、アイデンティティというものは多分そういうものなのだと思う。