かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

地方公務員が本当にすごい!と思う地方公務員アワードへの疑問(と提案)

Twitterでホルグの代表の方にいろいろ質問しようと思ったのだが、項目がありすぎて整理できなさそうなので、ブログで書いて見ようかと思います。

時間がない中で書くので、乱文になると思いますがご了承を。

(10/8追記:その2へ続きます。)

1.なぜ組織ではなく、個人を表彰するのか。

地方公務員の仕事は、係ごとどころか担当ごとに細分化されていて、そういった担当の仕事の集積として、一つの大きな仕事が出来るような仕組みになっている。

それなのに、組織やその代表者ではなく、個人を表彰するのはなぜか。

特定の個人のみを表彰し、その大きな仕事の土台となるような仕事をした各担当や最終的な決定を行うという重責を担った管理職を評価しないから「アワードは地味な仕事を評価しない」という批判を受けるのではないか。

こういった評価の仕方は、地方公務員の仕事を評価する上で正当なのだろうか。

2.公の仕事に対する評価方法について

例えば、生活保護ケースワーカーAさん・Bさんがいて、それぞれ80人のケースを担当していたとする。

Aさんは、2人を就労に結びつけ、その2人は安定した生活を営むことができた。
Bさんは、30人を就労に結びつけたが、就労した者はそれぞれ半年程度でやめてしまった。

このとき地方公務員アワードは、どのようにこの2人を評価し、表彰するのだろう。

直接的に言えば、データや形として残らない”実績”(そういう実績こそが公務員の目指すべきところであると私は思う)を、どうやって評価できるのだろうか。

3.なぜ審査員に専門家を入れないのか

2で書いたことにつながるが、アワードの審査員は、これまでのアワード受賞者が行っている。

しかし、担当が違えばその仕事の価値観も異なる中で、他部署の仕事に対しては「素人」である受賞者(それは受賞者自身が分かっているはずだし、個人的には「よく審査できるな」と思っている)が、果たして正当な評価を行えるのだろうか。

結局のところ、素人が「すごいと”思う”人」を表彰しているのと同じようなものであって、実際に「すごい人」は表彰できていないのではないか。そしてその傾向は、HOLGのホームページで「推薦文の書き方」が掲載されているように、結局のところ「すごいと思わせる力がすごい人=PRが上手い人」が受賞することに繋がっているのではないだろうか。

地方公務員の仕事を正当に評価したいのであれば、地方自治研究者やそれぞれの分野の専門家に審査員をお願いすべきではないか。

また審査員を以前の受賞者とすることで、縁故主義的に受賞が決まっているまたはそう疑われることになっていないか。

4.受賞者の偏りについて

総務省の出している「地方財政の状況」における「目的別支出」の割合と、アワード受賞者の受賞分野の割合では、乖離があるように見える。

具体的には、アワードにおいては、財政支出割合が比較的低いはずの商工分野や農林水産分野における受賞者が多く、逆に支出割合の多い民生分野や衛生分野における受賞者は少ない。

当然、単純な比較はできないが、アワード受賞者における受賞分野は、偏り(評価されやすい分野とそうでない分野)があるのではないか。そしてその偏りは、アワードの画一的な評価に起因しているのではないか。

5.アワードによって、地方公務員を分断していないか

結局のところ、公の仕事の評価はかなり難しく、アワードの評価・表彰はかなり画一的な視点で評価されているように見える。

このような画一的な評価・表彰によって、地方公務員を応援するどころか、地方公務員を分断する結果となっているのではないか。

 

以上、お忙しいと思いますが、お答えいただけるとありがたいです。

追記 いくつかの提案

「匿名地方公務員は批判ばっかり」と言われる未来が見えたので、アワードに対するいくつかの提案をしたいと思う。

1.受賞単位を個人から組織にする。

地方公務員は、チームで仕事をしている側面が強いため、現状の個人単位での表彰は適切でない。

加藤さんは「チームで受賞となるとチームで一番権力のある方や、声の大きい方の評価として、召し上げられる」と言っているが、決定権のある者が組織の代表として受賞することは当然のこと(だからこそ「管理職」なのだが)である。また誰が代表して受賞するかは、その組織が決めることである。

地方自治体の活動を表彰する仕組みは、総務省の行っている「ふるさとづくり大賞」や日本広報協会が行っている「広報コンクール」など様々あるが、加藤さんが言っていることが正しいのであれば、これらの表彰は「一番権力のある方や、声の大きい方の評価として、召し上げられる」ものであるということなのだろうか。

地方自治体の業務における個人の評価は、基本的にあくまで地方自治体の人事制度によって行うべき(もちろん例外はある)であり、外部が個人をピックアップして表彰するのは、業務の性質上合わない。

そういった試み自体が全てダメというわけではないが、根拠ある理由がない限り、受賞単位は組織とすべきである。

2.部門別受賞とする。

現在は「地方公務員アワード」という単一の受賞(協賛賞はある)となっているが、これでは「ごった煮」の状態であり、何がどう評価されて受賞に至っているのか分からない。それが「縁故的な受賞ではないか」とか「派手な人しか取り上げられていない」という疑惑を生じさせている。

そこで地方公務員アワードの中で、企画広報部門・総務部門・福祉部門...など部門を分け、それぞれの部門で受賞者を決定することで、説明責任を果たすという意味でより専門的な理由によって受賞が決まることに繋がり、「本当にすごい人」と「すごいと思われる力がすごい人」の「ごった煮」状態はいくぶん解消される。

3.専門家を審査員として招く

部門別受賞とセットにしなければならないのは、それぞれの部門ごとの審査員として専門家を入れるということである。

受賞者のみを審査員とするのは、私が疑問の部分で書いたように結局のところ「すごいと”思う”」でしかない。運営側はデータや実績による客観性を担保していると主張するだろうが、そこには現れない実績を適切に評価するには、地方自治や各部門の専門家に評価してもらうのが一番良い。

言ってみれば今の審査体制は、視聴者とゲスト審査員で勝敗を決める「紅白歌合戦」と同じである。

エンタメとしてこのアワードを運営し、審査も正当性は関係なく、「”思う”を超えない範囲で良いのだ」という気持ちでやっているのであれば、今のままで良い。

しかし、表彰に客観性や正当性を付与したいのであれば、専門家による審査は必要である。

 

以上、提案です。

 

あとは、読んでくれたらいいな程度の雑感。

このアワードは公的な仕事に対して民間的なアプローチで評価するということに、ねじれがある。

そもそも地方公務員の仕事は、市場原理では対応できないからこそ行われている(と言われている)。例えば、警察・消防・防災・福祉などは、その最たるものであるように思う。

こういった分野の評価方法は、それはそれで専門的なアプローチが必要であり、民間人にわかるような「効率的になった」だけで評価できるほど、単純な世界ではない。効率化による弊害も加味しなければならない。例えば、これまでのアワードの受賞者のせいで被害を被った人だっているかもしれない。

そういう仕事の複雑さを画一化して、表彰しているのがこのアワードであり、だからこそ民間人にも評価しやすい経済系の部署の受賞人数が多いように思う。

「いろんな部署の人が受賞していますよ」という反論もあるが、数をこなせばそういう人も存在するだろう。しかしその割合は、地方公務員の仕事を評価し表彰するには不当に偏っているとしか言いようがない。

こういった指摘に対して「万人に受ける表彰は無理。あなたがそういうアワードを作ればいい」と言われるだろう。

しかし、各団体が行っている地方自治体への表彰と違い、地方公務員アワードがこんなにTwitterで叩かれているのはなぜか。やはりそこには(私から見ると一定程度正当な)理由があるということは、自覚する必要があると思う。

 

なんとなくおすすめの本

その2へ続く

katsugen0331.hatenablog.com