キラキラした公務員の存在
公務員の世界にも業界誌がある。それらを読んでいると、とてもキラキラしているように見える。
「街へ飛び出そう!」
「二枚目の名刺を持とう!」
「若手公務員による業務改善事例!」
一般的に考えられる地味なイメージとは真逆の公務員像がそこでは提示されている。
羨ましさがありつつも、私はそういう存在になれない気がしている。
別に、そのような活動をしている人を批判しているわけではない。むしろ素晴らしいことだと思っている。
ただ私は、地域のためにプライベートな時間を削ってまで活動しようと思わない。
業務のために専門的知識を身に付けたいとも、あまり思わない。
自分のためにブログを書き、Twitterをしている。
それが私のスタンスであり、利他的な発想に陥ると、続かないことが分かっているからだ。
キラキラしていない公務員
世の中のほとんどの公務員(以下「普通の公務員」と呼ぼう。)は、キラキラしていない。
日々の業務をこなしているだけの者が、多数を占めている。それは何も悪いわけではない。
しかし、その現実を批判する者もいる。
ただ、公務員みんなが向上心があってキラキラしていたら、それはそれで恐ろしい状態なのではないか。
1984年のような、そんなディストピアを私は想像してしまう。
そういう意味で、キラキラした公務員のそのキラキラ感は、相対的なものであるとも言えるかもしれない。
普通の公務員を肯定する
「公務員は定時で帰れていいよな」と言われるが、定時で帰れたとしても、8時間は働いている。
ちゃんと8時間仕事をして、言われた仕事をこなす。
その上、プライベートな問題もあるだろう。
私もいろいろな人と会って実感したことだが、毎日同じ時間に出社し、週40時間も働くということは、当たり前に出来ることではない。相当な自己規律によって保たれている。
こういった状況を鑑みると、普通の公務員に対して「精神的に向上心のない者はバカだ」とは言えない。
まず必要なのは、向上心がさほどない、普通の公務員を肯定することではないだろうか。
分裂する公務員
個人的な感覚ではあるが、キラキラした公務員(業務邁進系と業務外活動系)と普通の公務員には、3者の間に隔たりがあるように思う。
それは必然的に生じるものでもあるが、しかし、その隔たりについて放置しているのが気になる。
つまり、それぞれがそれぞれの世界で閉じこもっている。お互いに不干渉なのだ。
ここから考えれば、必要なのは、その間を取り持つ翻訳者だ。
アジテーターでは決してない。
そういえば、マキャベリはこんなことを言っていたらしい。
中立でいると、勝者にとっては敵になるだけでなく、
敗者にとっても助けてくれなかったということで敵視されるのがオチなのだ。
それがオチかもしれないけど、そうやって避けてたらいつまで経っても分裂したままだ。
何が言いたいか自分でもよくわからないが、とりあえず吐き出してみた。