かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

「お願い」を聞いてもらうには

「お願い」を聞いてもらうには、大きな意味で「信頼」が必要だ。
その人がどういう人格なのか。これまでどういうことをやってきたのか。その「お願い」の中身に正当性があるか。
お願いの正当性だけはなく、これまでの経緯やお願いしている人の人格、そのお願いによって影響を受ける人、今後の見通しなど様々なことに頭を巡らせて、「お願い」が受け入れられるかが決まる。

だから、従わない人間に対して、ただ単に「従ってください」とお願いしても、説得力がなければ「どうして?」とか「お前の言うことは信用しない」と言われて、聞く耳を持ってくれないだろう。

お願いするならまだしも、「お願いに従う人間」と「お願いに従わない人間」に分けて「従う人間は素晴らしい、従わない人間はダメだ」と評価するだけでは何の意味もない。
というか、それはお願いをする立場の人間がやることではない。そのような評価が出来るのであれば、そもそもお願いする必要がないからだ。

必要なのは「お願いに従わない人間」に対して、従ってもらうように誘導することであって、そのためにはまず信頼を得ることが重要だ。信頼がないからといって、それを埋めるために強制力を持って従わせようとするのは、まさに「パワハラ」である。

そもそも「お願いに従わない人間」と言っても、人それぞれである。あえて従わない人もいれば、どうしても従えない人もいる。
そういった事情に立ち入らず、ただ抽象的にお願いを繰り返したところで、聞くはずがない。
ましてや、そのお願いを自分自身が守っていなかったり、「自分だけは特別」という態度を見せている人の「お願い」など、誰が聞くだろうか。 

こういったコミュニケーションの作法は、社会生活を営んでいれば、なんとなく分かりそうな気もするが、「偉い人にはそれが分からんのです」ということなのだろう。

日々のニュースやSNSを見ても、「コミュニケーション自体が劣化しているのではないか」と、老人の考えるようなことが、ふと頭に浮かんでしまう。

コロナ禍は、実にいろんな問題をあぶり出した。
しかし、あぶり出された問題は、結局すぐに忘れ去られて、そのうち同じ問題を繰り返すのだろう。 

あんまり人間は成長しない。
なんだかむなしい気分だ。