かつげんの拠り所

1992年生のしがない子ども福祉系地方公務員のブログ

面倒くさがった結果、より面倒くさいことになる

生活保護の仕事をしてると、面倒くさいケースに遭遇する。その人の生活歴や障害などを見ると、しょうがないなと思うこともある。両親から虐待されたなんてケースを見ると、可哀想に思うこともあるぐらいだ。

ただ、ケースワーカーのなかには、そういった背景を見れないがために、ケースを上手く許せない人もいる。「背景がどうであれ、私の仕事を増やすケース」と考えてしまう。

こういうケースワーカーは、仕事を表面的にしか捉えられない。「なぜこの人は、こういう行動を取ってしまうのか」と深掘りしない。逆に言えば、表面的に事件が収まれば、それでよいと考えがちである。

しかし、表面的に事件が収まったように見えても、水面下では重大な事態が動いていたりする。例えば、精神疾患で服薬管理が出来ておらず、引きこもりがちになり、通院もしていないということが、たまにある。このような場合、ケースワーカーから見れば、家の中で何が起こってるのかは知る由もないから「便りがないのは良い便り」として、現状をわざわざ把握しようとしない。

その結果(ケースワーカーから見れば)突然、ケースが自殺企図をしたり、夜中に大声を出したりする。そして、騒動に巻き込まれたケースワーカーは、「また面倒なこと起こしやがって」と思うのである。予兆はあったはずなのに。

問題ケースに対して、出来るだけ深く関わりたくないという気持ちは分かる。だいたい2~3年経てば担当も交代するから、その間を乗り切れば良い、という思考になるのかもしれない。その結果、表面的な対処だけで済ませてしまうのだろう。

ただ、そういう思考は、さらなる大きな問題を引き起こすことが多い。問題を表面的に処理することは、対処に一貫性がないのと同じだからだ。問題が再燃すると、「この前はAと言ってたのに、今度はBと言うのはおかしい!」などと、むしろ問題が複雑になってしまうことだってある。

ケースは一貫性のなさに敏感だし、こうなってしまっては信頼関係も築けない。「アイツラは俺のことをバカにしてる!」と激怒されても、文句は言えないだろう。

問題が起きてから対処するのは、体力的にも精神的にも辛いことが多い。辛い状況では「今この問題さえ乗り切れれば」という狭い視野に陥り、正確な判断が出来ないこともある。だから、ケースのためにも、ケースワーカーのためにも、問題が起きる前に芽を摘み取っておく方がよい。

ただ、言葉では簡単だが、実現するのは難しい。

何しろ相手は人間であり、思うように動かせるものではない。頑張ったところで、望むような結果が出るとは限らない。むしろ裏切られることのほうが多いだろう。しかし、やるべきことをやり切ることで「どこまでが自分のやるべきことなのか」という境界は、よりハッキリしてくるし、「私はやるべきことをやった。あとは相手次第だ」と気持ちが楽になる効用もある。

「面倒くさがらずに、やるべきことをやり切る」というのは、精神論的で陳腐なスローガンかもしれない。しかし、結局はこのように言うしかないのではないか、と思っている。